鬼滅級を書きたくても書けないワナビの承認欲求について考えてみた。
芹澤です。
昨日の「鬼滅の刃 無限列車編」観ました。
映画館でも観ましたがやはり素晴らしいですね。煉獄さん格好いい!
ツイッター上も「鬼滅の刃」一色で、ワナビとしては正直羨ましいなぁと思うのです。
いつか自分もこんな作品を書いてみたい。だれかに認めてもらいたい。褒められたい。絶賛されたい。
そんな承認欲求がむくむくと湧いてくるのです。
ここでふと思いました。
最近まったく執筆活動してないな、と。
本当に書くことが好きであれば誰から言われるでもなく毎日パソコンにかじりついているはずなのに、最近は執筆熱が鎮火しています。
もしや単なる承認欲求なのではないか。
小説という文字の羅列によって体(てい)よく褒められたいのではないか。
どきっとした方、続きを読んでください。
知らなかったマズローの欲求5段階説
ネットを検索している中で「マズローの欲求5段階説」というものを見ました。
マズローの法則とは、人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されているとする心理学理論です。アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908~1970)が考案したもので、「マズローの欲求五段階説」「自己実現理論」などと呼ばれることもあります。
マズローの法則によれば、人間の欲求には「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5段階があります(個々の詳細は後述)。そして、これら5つの欲求にはピラミッド状の序列があり、低次の欲求が満たされるごとに、もう1つ上の欲求をもつようになるのです。
https://studyhacker.net/maslow-hierarchy
この5段階の要求は段階的に1→5のようになっています。
- 生理的欲求・・・食べる・寝るなどの生命活動の維持に必要な最低限の欲求
- 安全の欲求・・・身体的・経済的に安全なところで暮らしたい欲求
- 社会的欲求・・・社会集団(家族、学校、会社など)に属していたい欲求
- 承認欲求・・・集団の中で自分の能力を評価・認められたい欲求。「低次」と「高次」があります
- 自己実現の欲求・・・自分にしかできないことをしたい、自分らしく生きたい欲求
自分を含めほとんどの日本人は1,2,3は満たされているはずです。
問題は4です。
「低次」は他人に注目されたり称賛されたい欲求です。SNSで「いいね!」が欲しくなるのもこの欲求からです。
一方「高次」は自分が自分を承認できるか。つまり自身の達成感や満足度で自分を肯定できるかです。
以前ぶっちゃけたことがありますが、私は中学時代にいじめを受けていました。
毎日が苦しくて死にたいと思ったこともあります。「あんな奴らのために死んでたまるか」という負けん気だけで生き抜きましたが、思春期のこの出来事は自分のアイデンティティーに大きく影響したと思われ、いまでも自分のことを信じていません。つねに疑っています。
同時に他者のことも「表向きは笑っているけど内心こう思ってるんでしょ」と決めつける癖があります。人間不信なんですね。
でも他人を信じていないくせに他人からの承認は欲しいのです。つまり低次の承認を欲しがり続けている状態です。
「いいね!」とか小説のコメントや★は目に見える分かりやすい承認ですよね。
でも根底は人間不信なので満足することはないという…。
注目して頂きたいのは4の上が5「自己実現の欲求」という点です。
小説を書くという行為は5に該当すると思いますが、私は4の他人からの承認に「小説」という手段を使っているのです。
自分で分析しながら「うわぁ」と思っていますが、ワナビさんの中では思い至る人もいませんか?
逆に言えば「低次」他人からの承認も十分にあり「高次」自分自身の承認も十分で、自己表現として小説を書いている人がどれくらいいるのでしょうか。
芸能人や医者、大金持ちの方…くらいでしょうか。
富や名誉がなくても心豊かに穏やかな生活をしている方が趣味で執筆することもあるでしょう。
そんな人間に私もなりたかった。。。
翻っていま自分自身の執筆活動が滞っているのは「小説を書く時間があればもっと資格勉強できたのに」とふと思ってしまったからです。
自分を全否定してますね。。。
次に応募する賞もこれといって決めていないので、自己研鑽をはかりつつ、また機会があれば執筆に戻ってこようと思います。
できれば5「自己実現の欲求」を満たすために。
マズローの欲求5段階説について、詳しくはこちら▼をご覧ください。