自作から「モブ」と「ざまぁ展開」を考える
芹澤です。
連載中の「モブの方の桶川君。~じつはスゴイんです~」が完結しました。
ジャンルは「恋愛」にも関わらず最終話付近はひたすらバスケの試合をしていましたが、スラダンや黒バスを思い出しながら(大好きなグランロデオの曲を聴きながら)の執筆はとても楽しかったです。
最後まで読んでくださった方々ありがとう。感謝します!
さて今作では2つのことに挑戦してみました。
1.モブが主役・・・出る杭は打たれるが小説の中ならアリ。
まずはモブね。モブです。
https://numan.tokyo/words/Va2tYのサイトによると…
語源は英単語の“mob(モブ=大衆、群衆、群れ、やじ馬などの意味)”であり、映画界では、人が沢山いるシーンを“モブシーン”、群衆状態になったキャラを“モブキャラクター”と呼ぶ。
これが転じて、ネット上やゲーム内では、エキストラにあたる端役キャラや、狂言回しの無名キャラのことを“モブ”と呼ぶ場合がある。無個性で、重要なセリフがあることは少なく、時にはシルエットのみで表現されることもある可哀想な存在。
雑魚キャラクターと混同されがちだが、『仮面ライダーシリーズ』のショッカー戦闘員は雑魚キャラであり、そのショッカー戦闘員に襲われて、逃げたり犠牲となったりする、名もなき街の人々が“モブ”である。
……だそうです。
つまり作中では名前すら出ない「通行人」や「クラスメイト」のことですね。
目立たないキャラが実はすごい能力を隠し持っているのが昨今の流行りです。
私自身もそうですが誰しも「自分はモブだと分かっているけれど、それでも、だれかに認められたい」という欲求があるのではないでしょうか。
実はこんなことができるけど隠しているだけなのよ(ふふん)という優越感。
「できない」フリをしないと周りから冷たい目線を向けられるという抑圧感。
「モブ」ではなく「個」として褒められ、認められたいという承認欲求。
そういったものが流行に影響しているのではないでしょうか。
出る杭は打たれると言わしめる日本人ならではという感じを受けますね。
聞いた話では新型コロナにからんでマスク着用率が高いのも同調圧力があったからではという報道もあります。
逆に言えば国土が狭いがゆえに「周りに気を遣う」日本人らしさとも。
つねに周りの顔色を伺わなければいけないという息苦しさもありますが、死亡率の低さにもつながっているらしく、誇れる点でもあると思います。(あくまで個人の見解です)
話は戻りますが、実力をひけらかすことなく地味に過ごしているモブが、あるとき突然特技を発揮したらカッコイイですよね。
小説は自己投影の一種です。
褒められたい、一目置かれたい、私もそう思います。
なので思う存分、バスケの能力を発揮してもらいました。
2.ざまぁ展開・・・どこまでやればいいの。
言わずと知れた「ざまぁみろ」の「ざまぁ」です。
異世界転生・悪役令嬢ものでは定番中の定番といっても過言ではなく、主人公を傷つけた悪役にくらわせる正義の鉄槌です。
本作には「ざまぁもあるよ」とタグをつけておきました。
モブの対をなす超イケメンがその対象です。幼なじみでもあるヒロインに悪逆非道の限りを尽くして最後は泣かせた悪い奴です。
しかしながらここで問題発生。
「ざまぁ」はどこまでやるべきなのでしょうか?
いくらヒロインを泣かせたといっても命を奪ったわけではありません。
心の底から反省して「ごめん」と謝ってくれれば許してしまえるくらいのものです。
ですが読者さんの中には「謝ったくらいで許すな」と思う方もいるかもしれません。いわゆる処罰感情ですね。
この辺りのバランスがとても難しく、頭を悩ませました。
悪役令嬢ものであれば無実の罪で国を追い出された主人公がなんらかの強い力をもつ者の力を借りて逆に国を亡ぼすことがあります。
勇者パーティーからの追放ものであれば主人公の能力が突如開花して勇者パーティーを壊滅させたりすることも。
やりすぎると欲求不満。あっさり許しても不満。
また悪役がラストで改心したり実はこういう事情で仕方なかったパターンはあまり受け入れられないようです。
読み手側としては「やっちまえー」と振り上げた拳を渋々下ろさなくてはいけないからですね。
このあたりのヘイト管理が本当に難しい。前作のAliceでそう学びました。
さまざまなパターンを考えた末、最終的には「実力の差を見せつけて驚愕させる」に落ち着きました。
詳しくはぜひ本編でご確認ください(ダイマ)。
それではまたっ。