満たされているから、書ける
以前テレビの番組で「月下上海」の著者、山口恵以子さんを取り上げていた放送をたまたま見ました。
ご存知の方も多いと思いますが、この方、食堂のおばちゃん、らしいですね。
そんな方がどうして作家に、というモノ珍しさから、テレビ番組では取り上げていたのですけれど。
放送の中で、こんなことを云っていました。
「満たされているから、書ける」というようなことを。
具体的な言葉は覚えていなくて恐縮ですが、いまの生活に満足して、満たされているからこそ、小説を書けるのだと。
それを聞いたとき、「あぁ、そうだな」と私自身も、深く納得しました。
当初、私はストレス発散とか現実逃避の一環で小説を書きはじめました。
そんな自己満足のために書いていたものなのに、一作出来上がると、なにかしらの評価が欲しくなって、公募に出しました。
でも結果が良くなかったり、返ってきた選評で酷評されていると、かなり落ち込みました。
そんなことが重なって、書くことが辛くなって、一時は、書くことをやめました。
私が公募出さなくても誰も困らないし、私自身だって、定職に就いているわけだから、金銭面では特に困らない。
そんなふうに割り切っていたんですけどね、いざなにも書かなくなると、なんだか毎日が虚しい。
満たされていないです、ちっとも楽しくない。
ちょっとした隙間時間には、気がつくと頭の中でキャラたちが喋りだし、各々に動き出しました。
子どもの成長を写真におさめるように、勝手に動き出したキャラたちを創作ノートに書き出していくと、それが「物語」になる。
そうなるともう、じっとしていられない。
「あーやばい。やっぱ書くの好きだわ。私が小説出さなくても他の人は困らないけど、『私』が困る」
というわけで、現在に至ります。
精神面でも波があって、ネガティブモードに入っていたときは、小説書いていても、面白くないのがわかりました。
いまは、気持ち的にも安定していて、だからでしょうか、書くことが楽しいです。
小説以外の部分で、ヴァイオリン一所懸命練習してみたり、好きなマンガ読みふけったり、かなり気楽で満たされた毎日です。
心に余裕があるときに書く小説のほうが、たぶん、いいものが作れるんじゃないかと思っています。
いまじゃ小説は、ストレス発散も兼ねた趣味(自己表現)でもあり、私のかけがえのない一部です。