ホラーの嗜(たしな)み
こんにちは。
ホラー小説の参考になるからと毎晩のようにホラーゲームの実況・攻略動画をあさっている芹澤です。
今回は「ホラー」について自分なりに考えてみようと思います。
ホラーとは生理的欲求である
人間だれしも自分がいつか死ぬということは知っています。
平等に与えられた「死」というカードですが、それがいつ切られるのか多くの人は知りません。
メメント・モリという言葉があります。
死を想え。死を忘れるな。
人間はいつか死ぬのだから今を大事に生きなさい、といった意味で作品のモチーフになることがあります。
しかしながら毎日「生きるって素晴らしい!」と思いながら生きている人はそういないでしょう。
管理人のように惰性で一日が終わっていく人が殆どです。
よくもわるくも変化のない「日常」が明日も明後日も一年後も十年後も続いていくと頭のどこかで信じきっています。
そんなとき無性に「死」が恋しくなります。「死」というスパイス・刺激が欲しくなります。
自殺願望があるわけではなく、ダラダラした毎日に「これでいいのか!」と一喝して欲しくなるのです。
その点、ホラー小説の中は死であふれています。
徐々に忍び寄る悪夢、追いつめられる緊迫感、口を覆いたくなるほどの惨劇などを疑似体験することで私たちは忘れかけていた死を思い出します。
もちんろ小説はフィクションではあるけれど、逃げようのない死が不条理にも襲いかかってくることをニュースで知っています。
死はこんなにも身近なもの。
だからこそ生きることはこんなに尊い。そんな実感を得るためにホラー小説は求められているのではないでしょうか。
零は怖いけど面白い
前述したとおりホラー小説を執筆中の私ですが、参考として、かの有名な「零」を観ました。
これ▼ ※3時間超の長動画ですが、解説が丁寧でとても良かったです。
深い森に佇む荒廃した武家屋敷。ここで起きた忌まわしい歴史、数々の怪事件は、永い時代の狭間にいつしか埋もれてしまった。現代…。1ヶ月前失踪した有名作家に続き、兄、真冬までも行方不明に。その屋敷の名は氷室邸。主人公雛咲深紅は失踪した兄の行方を追い、その氷室邸を訪れる。まるで見知らぬ力に引かれるように…。そしてこれが自らに課せられた運命だとは知らずに…。
これ20年前のゲームなんですよね。
当時気になっていたのですが「襲いかかる幽霊をカメラで撮影して除霊する」というコンセプトがゲーム音痴の私からすると「むりむりむりむり!!」だったので泣く泣く諦めました。
周りでプレイしている人もおらず、内容が気になりつつも次第に忘れて20年…。
観ました。めちゃくちゃ怖かったです。
攻略見ただけなのに夢に出てきました(´;ω;`)
20年前の綺麗すぎないグラフィックが余計に不気味さを際立たせていますし、懐中電灯のあかりが届かない暗闇の中で幽霊たちがフワッと登場するのは「ひぃっ!」と心臓バクバクしますし、動きもとてもリアル(?)です。
階段を上り下りする深紅の動きも20年前とは思えない。
「カメラを構える」という視覚が制限される中で自分自身も動きながらできるだけ近くで撮影しなくてはいけないという無謀さに、当時の自分に買わなくて正解だったぞ!と叫びたいくらいの恐怖でした。
このゲームを考案した方は天才だと思います。
ストーリーは主人公の深紅がたったひとりで幽霊屋敷を歩き回りながら失踪した兄を探すというものです。
自分がプレイしているわけでもないのに幽霊が現れるごとにギャーギャー騒いでいた私でしたが、次第に怖さよりもストーリーの先が気になってつい最後まで見てしまいました。
もちろん怖さもありましたよ。除霊されるときの絶叫とか、BGMとか、写真に映る幽霊たちの妙にリアルな顔とか。
でも、この屋敷で行われた儀式や悲しい過去、それが深紅たちにどう関わってくるのか興味をそそられて怖いけど目が離せなかったのも事実です。
単なる恐怖の連発だけだったら、3時間超もの動画をすべて見ることはなかったでしょう。
ホラー小説も同じです。
物語のあちこちに「びっくり箱」を仕掛けているだけではいずれ飽きられる。
「びっくり箱」の中身がしっかりしていてこそ小説としての価値が成り立つのではないでしょうか。
この後に続くシリーズの「零~紅い蝶」も観ました。こちらも5時間超の長い動画ですがそれだけの面白さがあります。
シリーズは2014年に六作目「零~濡鴉ノ巫女~」が発売されたのが最後のようです。
女性主人公たちの服装がエロくなっていくのは大人の事情…と理解しました。売るためなら仕方ないよね!
11月12日に公開予定です
現在執筆中のホラー小説「月と皮」は11月12日(金)にエブリスタで公開する予定です。
こちらは昨年のジャンプ・ホラー小説大賞で最終候補一歩手前だったものです。
夜8時過ぎに公開予定。ぜひとも見に来てくださいね~。
それでは。